悲しみの銃弾は飴玉になって子供達の口の中
2015年7月16日木曜日
こんな気持ちも時間が経てば笑って話せるようになることは分かっている。それでもなんだかやりきれなくて、少し熱めのシャワーをたっぷり使っていつもより長湯をしてみた。19歳の私がもう一度やってきそうで、それがどこかすでに決まっているもののように感じてしまう。運命と呼ぶにはあまりにも汚れきっている。
水際/淵の底
必要以上に考えて勝手に傷ついてしまう。そんな自分は嫌いだ。
幸せはもっと嫌いだ。
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