2017年3月22日水曜日

大学を卒業しました。6年かかりました。
でも同じ大学の院へ進学するので卒業したっていう実感があまりないのが正直なところです。
この先どういう生活になろうと、いつでもどこへでも行けるような身軽さは常に持っておきたいですね。

2年ずれたことによってこの季節、同期とその一個下が先に卒業するのを見なきゃいけなかったのは正直きつかったです。
そのとき彼らとのSNSでのつながりをほとんど絶ったので、大体の人はいまどうしてるか知らないです。
SNSが人間関係の生命線なこのご時世に私は思い切ったことをしたなあと思います。
実行するまで割と長い期間悩んだんですけどね。
後悔するかなと思っていたら全然後悔しませんでした。

以前の記事で「自分以外の人も自分と同じ生身の人間なんだってことをよく忘れてしまう」と書いたのは多分SNSの影響があると思います。
みんな切ったら血が出て痛みを感じるのにね。私も切られたら血出るし痛いよ。
それを忘れかけるのはきっと私だけじゃないはず。
すくなくともここを見てる人は、そうなんじゃないかと思います。

2017年3月14日火曜日

「ロマンティックポエマー、椿に死す」


君がいる
風がふく
髪が乱れる
手を、取りあう

椿を突き、差し落ちる午後の光
首を切り、咲き落とすような恋
してみたいね
君は
小指の爪だけ伸びているね

時はいまだけ燃えて
その炎で暖をとって
その炎で周りを照らして
君は
僕以外の人に
爪を切ってもらうといい
切った爪は
椿の中に隠して
そこの川に流してくれ

椿の色は
白がいいな
汚れがついたら、すぐわかるから


---


タイトルに意味はないです。
タイトルつけるの苦手なんです。
だってこのブログの記事のタイトル、たまにしかないでしょ。

2017年3月9日木曜日

自分以外の人間の、身体っていうものをずっと感じてみたいです。皮膚、傷痕、肌荒れ、瞳、まつげ、鼻、唇、心臓の音、内蔵の動き、骨、筋肉。外からわかるあらゆる身体のことを見て触っていたいです。自分以外の人も自分と同じ生身の人間なんだってことをよく忘れてしまうので時々思い出したいんです。この感覚はイコール性欲ではないですけど、満たせる時があるとするなら性欲を満たす時についでにって感じです。あと相手に痛みや苦しみを与えて反応を見るとぼんやりとなんですがその感覚が刺激されているような気がします。身体が痛い、苦しいって反応するのは生きているからだし、生きようとする防衛本能でもあるから、目の前をそれを見るとああ生きてるんだなって思い出します。

2017年3月7日火曜日

死にたいって言えばそれまでのこと

たまにすごく好きな人ですら死んでほしいくらい嫌いになることってないですか。私の中のそれを超えて、何があっても好きって人は家族とあとひとりか、ふたりくらいですね。あとは嫌いかどうでもいいか期間や媒体が限定された仲だから割り切ってるみたいな。所詮人間ごときに執着したって仕方ないと思うんですよ。
(2017年1月27日の下書き)

このときの私、何を考えていたんだろう。多分すごく好きな人をすごく嫌っていたんだと思います。書いてあるね。分かりやすい。

忘れっぽいというより、覚えるということがあまり機能しなくなっているかもしれない。ということすら忘れていました。

付き合う、というものほど重く感じる口約束はないんじゃないか、と思います。付き合っていなきゃ、手は繋げないのでしょうか。抱きしめあえないのでしょうか。キスは。セックスは。
人格が問われそうな考えですが私は頭のどこかで今も死にたがってるかもしれません。だから刹那的な思考になってしまうのかもしれません。
この先誰かと付き合うことかあるなら相手の方にはたくさん浮気をしてほしいです。私一人にこだわる必要はどこにもないし、私もその人にこだわる理由がなかったら簡単にどっかいきます。
だって口約束じゃん。ね。